今の僕をザッとまとめてみるとこんな感じです。
どうも、しらすです。気付けば33歳を迎えました。
いざ33歳になってみると、自分が思っていた33歳とは大きくかけ離れていて、なんか子供のまま大きくなっちゃったなーという感想です。
そんなしらすの今年の1年間は『今までの自分史上、最も動いた1年間』だったと思います。
約10年前に今の企業に入社した僕ですが、まさか10年後にパートで働いているなんて夢にも思ってないでしょうね。
この1年間は『育児休業を満喫して、育児休業が開けて、時短勤務で働いて、パートになって』っていう1年でした。
働き方を変えてみて思うことは『酸いも甘いもあったけど、最終的には悪くない1年だったな』ということです。途中までは最悪でしたけどね!ま、『終わり良ければすべて良し』としておきましょう。
ということで、この記事ではしらすのあれこれあった32歳の1年間の振り返りと33歳の展望について書いてみようと思います。
完全に私用記事なので、ちょっとだけ変わった33歳に興味のある方だけどうぞ!
- 1年前の子供達はNICUで入院していた
- 育児休業は子供達からの初めての『親孝行』
- 育児休業を通して働き方を考えた
- 働き方を変えながらもがく日々
- 『退職しなくてよかったのかも』と考えている現状
- 33歳のしらすは現状維持でゆるく生きていこうと思っている
1年前の子供達はNICUで入院していた
まずは子ども達のこと。ちょうど1年前はウチの子ども達はまだNICUに入院していました。
退院がみえてきて、我が家に双子ちゃん達が帰ってくるという変な緊張と不安。考えつくことをリストアップして片っ端からつぶしていたような気がします。
毎日子ども達に面会するために片道1時間かけて病院に行っていたのが懐かしい。大変なのは大変だったけど、基本的には子ども達のお世話は看護師さんがやってくれていたし、夜もぐっすり寝ていたので、今考えてみると『育児のいいとこ取り』のようなもので、めちゃくちゃ楽でした。子供達の状態も退院前には安定してましたしね。
当時の長女は体重4kgで自力で呼吸をするのがしんどい状態だったので、酸素の補助をしていました。
次女は体重3kgで吐き癖がひどく、吐きまくっていたので体重もなかなか増えず、かなり心配していました。
今となってはいずれの症状も改善され、体重も9kgと8kgになっているので、子どもの強さって本当にすごいなと思います。
育児休業は子供達からの初めての『親孝行』
僕はスーパーに勤めていて、勤務は土日祝日が関係ないシフト制です。
育児休業を取るまでの直近5年間では、まとまった休みどころか2連休すら滅多に取ることができませんでした。
拘束時間も長くて、朝は5時に家を出て、帰れば23時を回ってた。
配属された店の状況次第では休みの日にも仕事に行かなくてはいけなかったり、自宅から片道1時間かかる店舗にいたこともあり、心も体も疲れていました。
子供が生まれて、家庭と仕事のことをかんがえたところ、『とてもじゃないけど両立はできないな』という結論になり、退職を申し出たところ、当時の上司から『育児休業という手があるよ』と提案をいただき、10カ月間の育児休業を取得しました。
社会人になってからの10カ月連休。もちろん、育児のために取った休みなので、まるまる休めるだけではありません。
でも、でもね。
人間の生活を味わうには十分すぎる休みでした。
当たり前のように家でご飯を食べて、子どもに起こされることがあっても、ゆっくりと寝て、嫁さんといっぱい話して悩み共有して、家事も育児もして。
仕事のことを考えず、家族と好きなだけすごせる。メチャクチャ充実した贅沢な育児休業でした。
この育児休業。当然のことですが、子どもが生まれないと取る事ができません。子どもが生まれてきてくれたからこそできた家族の時間というわけです。
僕は育児休業を子ども達からの最初の親孝行として受け取りました。社会人になって、こんな贅沢な時間を過ごさせてもらえたんですから。
子ども達よ、本当にありがとう!
育児休業を通して働き方を考えた
家族との贅沢な時間を過ごして、人間らしい生活をしてみて『仕事と家庭の両立』について色々と考えました。
子供って大きくなれば自立して、手間はかからなくなっていくものだと思います。お金かかるけど。
家族を養うためにはやっぱりお金は必要で、お金のために(いわば家族のために)家庭をかえりみず、身を粉にしてひたすら仕事に打ち込んでいる人が大半なのではないでしょうか。実際に僕もそういう人達を目の当たりにしてきました。
僕も、双子だとわかったときは『もっと頑張って働いて、出世して、収入増やして、家族を養わないとな』なんて考えてました。
子供達が生まれてくるまではね。
我が家の場合は、ひょっとしたら例外かもしれないんですよ。なんせ、ウチの双子ちゃん達は1kgにも満たない体で産まれてきているんですから。
今は成長も遅くて、正直言うと色々とグレーゾーンです。
『小さく生まれた影響が少しでも改善されれば!』と考え、日々リハビリやら療育やらで、看護師さんや作業療法士さん、理学療法士さんなど、自宅に来てもらったり、施設に出掛けたり、何かと忙しい毎日を送っています。
そんな忙しい毎日を嫁さん一人に押し付けていいものだろうか。なんとか家庭と仕事を両立できないものだろうか。
実はこのブログは『家で何とか収入を増やせないものか』と始めたものです。
発狂しましたけどね(笑)
今はただの記録用、そして自身のアウトプットの練習用としてまったり運営しています。そもそも文章を書くことが苦手な僕ですから、最初から『ブログで稼げる』なんて夢を見たのがいけなかったですね(笑)
家にいながらにして収入があれば最高なのですが、人生は甘くない(;・∀・)
働き方を変えながらもがく日々
育児休業中に多少もがいたものの、結局なんの糸口も見出だせないまま、育児休業が明けました。
先ほども申し上げたように、日々リハビリやら療育があるので、とりあえず仕事はそこそこにして、家庭との両立を目指そうと考えました。
ということで、まずは時短勤務で仕事に復帰したわけですが、見事に玉砕!超濃密勤務でヘロヘロになった僕は家庭のことはほとんど何もできず、早く帰って家にいるにも関わらず死んだように眠る毎日を過ごしました。
久々の仕事で体力が戻ってなかったことから、職場の環境についていけなかったのも原因の一つだとは思いますが、いやー、本当に大変だった(汗)
結局、家庭のことがほとんどできてないという事実もあり、『もう少し仕事のウエイトを下げよう』と考えます。
結果、社内の子育て支援制度として存在していた『パートになって働ける制度』というものを利用することにしました。
で、実際にパートになってみて、配属してすぐは職場の人間関係に悩みましたが、もがきまくった結果、状況はなんとか好転し、今では当初の目的であった『仕事のウエイトを下げて働く』ということに成功しています。
↓育児休業が明けてからの働き方の流れをまとめています↓
osirasu.hatenablog.com
↓状況が好転したことを報告した記事はこちら↓
osirasu.hatenablog.com
『退職しなくてよかったのかも』と考えている現状
子供が生まれたことをきっかけとして、働き方を変えるべく退職を申し出た僕なのですが、今思うことは『仕事をやめてなくてよかった』ということです。
もし仕事を辞めていたパターンを考えてみると・・・
- 子ども達が落ち着くまで家庭に専念(収入なし)
- 家庭が落ち着いたら転職活動
- 運よく転職先が見つかるとする
- 新しい仕事に四苦八苦していたのではないのか
- 果たして定時で帰ることができていたのか
- 新しい仕事に精神がすり減っていたのではないか
- 結果家庭をないがしろにしていたのではないか
- 当然収入は減っている
対して今のパートになったパターンだと・・・
- 子ども達が落ち着くまで家庭に専念
- 育児休業給付金がもらえる
- 家庭が落ち着いてもしばらくは休める
- 家庭のウエイトを上げるために時短勤務を選択
- 時短勤務に四苦八苦していた
- 時短勤務からさらに仕事のウエイトを下げてパート勤務へ
- 人間関係に精神がすり減っていた
- ただ拘束時間に関しては通勤時間も含めて8時間
- 家庭と仕事の両立は出来ている
- 人間関係が改善される
- 当然収入は減っているが状況次第でいつでも社員に戻れる
あくまで結果論ですけど、僕の場合は確実に仕事辞めなくてよかったです。
僕はどうやら運がいいらしい。
仕事やめようと思ったら育児休業が取れて、収入なくなると思ってたら育児休業給付金がもらえて、『仕事復帰=家庭放置』になると思っていたら働き方が選べて、『人間関係最悪!』と思っていたらいつの間にか改善されていて。
仕事をやめるにしても、家から近いところで探すつもりだったのですが、幸運なことに今の職場は車で10分。おかげで仕事の拘束時間はグーンと減らすことができています。
もし仕事を辞めていたら、ここまで恵まれた状態で働くことはできなかったでしょう。
おそらく安定した精神状態で仕事と家庭を両立させることはできていないでしょうし、下手したら忙しい家庭状況にもかかわらず、家庭放置するという恐ろしい状態になっていたかもしれません。あー、こわ。
ホントたまたまですけど、仕事やめなくてよかった・・・
33歳のしらすは現状維持でゆるく生きていこうと思っている
子ども達のリハビリや療育は何歳まで続くかわかりませんし、ひょっとしたら終わりはないのかもしれません。
家庭のために仕事をセーブし続けると、今の貯蓄がいつまでもつのかも正直分かりませんし、尽きることがあればもっと必死に働かなければいけない日がくることもあるでしょう。
ただ、現状、家庭に比重をおいて、リハビリや療育を積極的に行っているかいあってか、子ども達の成長に関しては順調です。
長女は修正月齢通りにはなってきていますし、次女に関しても今のところ修正月齢から3ヶ月ほど遅れている程度になってきています。
ありがたいことに、小さく生まれたということを全く感じさせない成長を見せてくれているんです。
この1年間で、僕の出世に関しては大きく遠回りをする形になっていますし、ひょっとしたら出世からのレールからは既に脱落してしまっているかもしれません。
でも、そんなものは子供が成長してくれることと比べれば、比べるに値しないぐらい小さなことだと僕は思っています。
散々あがいてもがいて、仕事と家庭を両立できる環境を手に入れた今、そして出世合戦から脱落した今、僕はゆる~く生きていこうと思います。
ブログもゆるゆる。仕事もゆるゆる。人生もゆるゆる。
こんな僕ですが、この記事を読んでくださった皆様。
これからもどうぞよろしくお願いします!
以上、職業パート、妻有り、双子の娘有り、なんなら家のローンも有り、家計は火の車、33歳になりたてのしらすでした。
終わり。