どうも、双子のパパしらすです!
子供が生まれると同時に出始める母乳。
そのメカニズムは未だに解明されておらず、人知を超えた母乳には、どこか神秘的なものを感じます。
子供達が1歳4ヶ月になるのを目前に、嫁さんのさく乳が終わりを迎えました。
幸い、終わりかけに起こりやすいトラブル(乳腺炎)が起こることもなく、無事にスムーズに終えることができました。
長きに渡り、頑張って母乳を出し続けてくれた嫁さんには、感謝してもしきれないぐらい感謝しています。
今の子供達があるのは嫁さんが頑張ってくれたからといっても過言ではない!
この記事では、母乳と双子の歴史、我が家の母乳の始まりから終わりまでをまとめていこうと思います。
※あくまで我が家バージョンなので、一例としてご覧ください。
子供達が在胎25週で産まれた時から始まったさく乳
ウチの双子ちゃん達はお腹の中にいる時に『双胎間輸血症候群』という双子でも稀な症状にかかりました。
在胎18週の時に、危険な状態になりつつありました。
なんとか専門の病院で治療していただいた事もあって、生まれても治療できるであろう25週まではお腹の中にいることができました。
欲を言えば28週までいきたかったんだけど、次女の容態がそれを許してくれなかった。
ということで、さく乳は子供達が在胎25週で生まれたこの瞬間から始まることになります。
子供達にとって母乳は『命の水』
特に小さく生まれたウチの子ども達にとって、母乳は命の水となります。
その理由に『子どもに必要な栄養が含まれている』『風邪や病気になりにくい抗体が含まれている』というものが挙げられる他に、早産で生まれたウチの子ども達に関しては『内臓がダメになってしまう病気(壊死性腸炎という病気)』にかかるリスクがあり、そのリスクを下げるための一番の薬が『母乳』だったからです。
この病気に関して、生まれたその日に先生から説明があり、『母乳が一番のお薬なので、頑張って下さいね』という一言が最後に付け加えられました。
なかなか出ない母乳
生まれてすぐの子供達は『おっぱいを吸う』というレベルの状態ではありませんでした。
体は小さく、あらゆる栄養素が不足し、血液も足りず、呼吸すらままならない。
体には点滴や輸血、呼吸を管理する管やミルクを飲ませる管など、ところ狭しとあらゆる線がならんでいます。
そんな子供達が『おっぱいを吸う』なんてことができるはずがありませんでした。
でも子供達にとって母乳は命の水!少しでも、舐めるだけでも、1滴でもいいから飲んでほしい!というかウチの子供達に限っては飲まないわけにはいかない!
嫁さんは必死に、必死にさく乳をしました。それでも出てくれる母乳はほんの数滴。
看護師さんも手伝ってくれて3時間おきにさく乳をするのですが、なかなか思ったように母乳が出ませんでした。
それでも頑張って搾乳する妻
ヤバい!腱鞘炎になりそう!
そう言いながらも、なかなか出ない母乳をしぼり続ける嫁さん。
胸は力いっぱい搾っているせいか、真っ赤になっています。
それでも搾り始めて2日間は母乳はなかなか出ませんでした。
目に見えて母乳が出るようになったのは子供達が生まれて3日が経ってからのこと。
看護師さんがスポイトのようなもので母乳を吸って貯めてくれるのですが、そのスポイトの中には5mlくらいの母乳が溜まっていました。
子ども達が生まれて3日目以降は母乳が出る量も徐々に増えてきたので、看護師さんの提案により電動搾乳機を投入。
手の負担も胸の負担もグーンと減り『快適♪快適♪』とさくさく母乳が搾れるようになり、少しずつですが母乳の量も増えていきました。(といっても仕上げは手搾りなので胸の赤みが消えることはありませんでした)
子ども達は子ども達で頑張っていて、しんどい体ながら、小さい命をつなぐために、必死に呼吸し、嫁さんが必死に搾ってくれた少量の母乳をなめていました。
母乳でつながる家族
帝王切開の手術が終わって満身創痍な上に、寝る間を惜しんで、さく乳を頑張る妻。
NICUには800gと550gで産まれ、保育器の中で必死に生きようと頑張っている子ども達。
嫁さんが入院している病室と子ども達が入院しているNICU。この2つの部屋を往復する僕。
僕は時間があればNICUに行き、嫁さんが頑張って搾った母乳を口に含んでいるところを写真におさめ、その写真に写る子供達を見て、満身創痍の嫁さんは、またさく乳を頑張りました。
この時の家族は母乳でつながっていたような気がします。
母乳がしっかり出るようになってから
子供が生まれてから3日目以降は順調に母乳が出始め、徐々に母乳の量も増えていきました。
帝王切開で出産した嫁さんも順調に回復し、お腹に痛みは残るものの、1週間でなんとか退院しました。
退院してからも3時間おきにアラームをかけて起床。『一度やると決めたらやる』鉄の意志を持つ嫁さんは、退院してからもさく乳に励んでくれました。
子供達が入院中は冷凍母乳を届ける日々
嫁さんが退院してから1カ月間は実家に帰っていたことと、僕ががっつり仕事をしていたこともあり、義父と義母に協力してもらいながら、日々、冷凍母乳を届けていました。
そして実家から自宅に戻ってからは僕の育児休業が始まったので、二人で冷凍母乳を持って、子ども達が待つ病院へ通う日々が始まりました。
入院前半は、子供達は哺乳瓶で母乳を飲むことができません。
なので、口から胃まで管を通して、胃に直接母乳を届ける『注入』という方法で母乳をあげています。
2ヶ月ほど経つと、徐々に哺乳瓶でも飲めるようになってきたので、哺乳瓶で飲む練習をしてから、不足分は『注入』であげるという方法に変わりました。
といっても5mlの母乳を飲むのに30分はかけていたので、哺乳だけで食事をすますにはまだまだほど遠い状態でしたが。
そして退院する生後5ヶ月目には、ようやく哺乳瓶でしっかりと飲めるようになったので、注入するための管を抜いた状態で退院することができました。
入院中の子供達は『動脈管開存症』の手術や『未熟児網膜症』という病気の治療のために、ちょくちょく飲めなくなる時期もあり、体重が停滞することもありましたが、退院時にはしっかり飲めるようになり、体重も順調に増えていたので安心したことを覚えています。
↓病気については以下の記事にまとめています↓
osirasu.hatenablog.com
冷凍母乳の在庫が増えすぎて捨てることもありました
母乳は専用のパックで凍らせることで長期間保存することができます。
目安としては、家庭用の冷凍庫で1カ月間、病院の母乳専用の冷凍庫で3カ月の間、保存しておくことができます。
入院初期の頃は母乳を搾るたびに凍らせて、面会にいくたびに凍った母乳を保冷バッグに入れて、せっせと母乳を運んでいました。
ただ、入院中の子ども達は、体がしんどいこともあって、そこまで母乳を飲むことができないんですよね。
うまれてすぐは舐める程度の量しか飲めませんし、生後1カ月で1人1日100ml程度、生後3カ月でも1人1日300mlほどでした。
当時は子ども達の飲む量よりも嫁さんの母乳量の方がはるかに上回っていた(1日1000mlぐらい出ていた)ために、さく乳した母乳のうち3回に2回は捨てていましたね。
それでも搾乳はサボらない嫁さん
趣味:さく乳、特技:さく乳 となっていた嫁さん。
母乳を捨てることはあっても、さく乳をやめることはありませんでした。
それは『自分にトラブルが起こらないように』という理由もありますが、一番の理由は『家族のため』。
人よりも早く出てきた子ども達の母乳生活は長くなるに決まっている。ウチは同時に二人だし、将来的に足りなくなるのは分かっているけど、足りなくなった時に少しでもミルク代が節約できるようにしぼり続けよう。
鉄の意志を持った嫁さんは母乳を捨てることはあっても、さく乳をやめることはありませんでした。
※NICUの看護師さん曰く『一度、さく乳をやめると母乳の量が減る。そして一度減った母乳はなかなか増えることがない』とのこと。この話を聞いて、嫁さんはより一層さく乳に情熱を燃やしてました。
子供達が退院してからも搾ります
子ども達の入院中は、子どもが生まれているとはいえ、家では夫婦二人だけの空間でした。
僕は育児休業を取っていたので家事をメインに、嫁さんはさく乳をメインに生活できたのですが、二人の子ども達が帰ってきてからは『子ども達メイン』の生活に変わっていきます。
子ども達の世話をしながら3時間おきの哺乳とさく乳
子どもの生活のメインは『哺乳・排泄・睡眠』ですよね。
ウチの子ども達は生後5カ月で退院したのですが、その時の体重は長女が4kgほど、次女が3kgくらいで、新生児とほぼ変わりません。
なので、生活のリズムも普通の新生児と変わらず、昼夜問わずの3時間おきの哺乳となります。
二人の娘たちは、嫁さんの乳首と相性が悪く、二人とも哺乳瓶でしか母乳を飲むことができませんでした。(入院中におっぱいから飲む練習を散々しましたが、全くダメでした)
ということで、哺乳させる時は必ずさく乳してから哺乳瓶で哺乳させることになります。
生活のサイクルとしては『(嫁さん)さく乳 → (夫婦)同時哺乳 → (僕)哺乳瓶洗う → (嫁さん)さく乳→ (夫婦)同時哺乳 → (僕)哺乳瓶洗う』を3時間おきにすることになります。
子供達に飲ませる前にさく乳を挟むので、感覚的には『三つ子みたいなもんだな』と思ってました。(もちろん、本当の三つ子はもっと大変だと思いますが)
退院してすぐは『夫婦で夜勤と早番を決めて睡眠時間を確保しよう大作戦』を実行していたんですが、これは大失敗。
一人で二人の哺乳をして、そこから哺乳瓶を洗浄・消毒するのですが、単純に二人で哺乳するより倍の時間はかかりますし、片方を哺乳してる時にもう片方が泣き出したらどうしようもなく、対応のしようがありません。
なんでもかんでも、一人で二人の世話(主におむつ替え)をしなくてはいけなくなるので、時間の余裕がなくなり、安定して嫁さんのさく乳の時間が確保できないという問題が発生しました。(さく乳の時間が確保できたとしても嫁さんの睡眠不足がハンパないという状態になる)
なので僕が育児休業を取得している特権をフルに活用して、哺乳は昼夜問わず必ず二人同時にしてました。一人が泣いたらもう一人を起こしてでも必ず一緒に哺乳する。もしどうしてもタイミングが合わなければ僕が二人を順番に哺乳して、その間に嫁さんがさく乳することもありました。(さく乳は中断することが出来るので、僕が片方を飲ましてる時にもう片方が泣きだしても対応できる)
『子ども達が退院したら母乳量を維持するのは難しいかもね』
これは退院時に看護師さんに言われた言葉ですが、夫婦で協力することで、いい方向に裏切ることができました。
子供達の飲む量が増えて母乳が足りなくなる
そんなこんなで、子供達の生活と嫁さんのさく乳を中心にしてタイムスケジュールを組み立てていたわけなんですが、嬉しいかな悲しいかな、『母乳が足りなくなる日』はやってきます。
その日は夫婦で考えていたよりもずっと早く、退院してから割とすぐに訪れました。
子どもの成長って親が考えてるよりホント早いですよね。退院してからも子ども達はグングンと成長し、飲む量もグングン増えていきました。
母乳が足りなくなったタイミングで『完全母乳→混合』に変更。
ただ、さく乳はずっと頑張ってくれてたので、閉乳を迎える1歳3カ月まで、ミルクの回数はかなりおさえることができました。
閉乳に向けて
閉乳のタイミングが一番トラブル(乳腺炎)になりやすいといわれますが、幸い、嫁さんは無事に閉じることができました。
閉乳のきっかけは飲み薬だった
順調に来ていた母乳ライフなのですが、その終わりは急に訪れました。
嫁さんの顔に謎の湿疹ができたんです。
最初のうちは『ファンデーションでごまかせる』と言って皮膚科にも行かなかったんですが、少しずつ湿疹はひどくなり、ついにはファンデーションでもごまかせない状態に・・・。
『さすがにマズいね』ってなったので、嫁さんは皮膚科に行くことになりました。
で、その時もらってきたのが湿疹を抑えるための飲み薬。ただこの薬、『授乳中は避けてください』タイプの薬だったんですよね。
夫婦で『母乳をとるか、治療をとるか』を悩んだんですけど、1年3ヶ月間もさく乳を頑張ってくれたこと、母乳の成分・色が変わっていたこと、母乳の味も子供好みじゃなくなってきていること(子供の反応より判断。母乳よりミルクが好きそうな感じ)、離乳食が始まっていることなどの理由により、閉乳することに決めました。
ということで子供達が生まれてから1歳3ヶ月で『混合→完全ミルク(+離乳食)』となります。
嫁さんが実施した閉乳の具体的方法
閉乳は『全く搾らなくてもいい状態』のことですが、閉乳に向けていつから動き出したのかを逆算してみると、我が家では3カ月前から動き出していることが分かりました。
母乳量を減らす手順としては『1回のさく乳量を減らす → 1日のさく乳回数を減らす → 1回のさく乳量を減らす → 1日のさく乳回数を減らす』をひたすら繰り返します。
だいたい半月ぐらいのスパンで上記の手順を繰り返します。
ウチの嫁さんの方法としては、
『1回のさく乳量を徐々に減らす(半月続ける) → 1回のさく乳量が減ってくる → 1日5回だったさく乳を4回に減らす → 乳腺が詰まらないように1回のさく乳量を増やす → また1回のさく乳量を徐々に減らす(半月続ける) → 1回のさく乳量が減ってくる → 1日4回だったさく乳を3回に減らす → 乳腺が詰まらないように1回のさく乳量を増やす』
これをひたすらさく乳回数が1回になるまで繰り返します。
さく乳回数が1日1回になって、その1日1回のさく乳量も減ってきたら、今度は搾らない日を作ります。
搾らない日を1日作り、さく乳量が減ってきたら搾らない日を2日作り、とやっているうちに搾らない日が増えてくるので、最終的に母乳が出なくなって、さく乳終了となります。
閉乳するとさく乳が名残惜しくなる?
『なんかさく乳しなくていいと生活にゆとりができてホント楽なんだけど、なんか寂しいわ』なんて嫁さんは言ってました。
それもそうですよね。
さく乳は序盤で1日7回、終盤でも1日4回、1回30分~1時間かけておこなっていたさく乳ですから、単純に1日あたり2~4時間くらいをさく乳の時間に費やしていたことになります。(さく乳機の洗浄まで考えると、もっと時間は使っていたと思います)
それをしなくていいとなると楽な反面、生活の一部がゴソッと抜け落ちるわけですから多少の寂しさは残りますよね。
ただ、最近は子供たちの離乳食の食べる量も増えてきて、さく乳に使っていた時間は離乳食を作る時間に変わってきています。
寂しさを感じたのも束の間、今度は離乳食を作る時間に追われることになりそうです。
まとめ:さく乳を頑張った妻には感謝しかない
早産で生まれたウチの子供達にとって、母乳はまさに『命の水』で、嫁さんが必死に搾ってくれた母乳のおかげで今の子供達がいます。
入院中は多少のトラブルはあったものの、退院時にはほとんど問題もなく、無事に生後5ヶ月で退院できたのは、本当に母乳の力が大きいと思います。
そして、嫁さんが子ども達にその母乳をしっかり飲ませ続けることができたのは、他ならぬ嫁さんの努力の賜物以外なにものでもありません。
『お母さん、本当に頑張りましたね!』
これは子供の退院時に先生からかけていただいた言葉です。
嫁さんはNICUの先生も認めるほど毎日頑張りました。
帝王切開で痛み止を飲んでも寝れないほど痛い体で頑張ってくれて、まとまった睡眠もとれない中、3時間おきに頑張ってくれて、子供が退院してもめげずに頑張ってくれて、乳首が荒れに荒れて痛くて仕方ないのに頑張ってくれて、少しでもミルク代を節約するために頑張ってくれて、最後の最後まで鉄の意思を曲げずに頑張ってくれて。
なんていうか、感謝の気持ちでいっぱいです。
本当に1年4ヶ月間、お疲れ様!そして頑張ってくれてありがとう!
以上、最終的に嫁さんへの感謝を言葉にしたかっただけのしらすが『母乳の始まりから終わりまで(我が家ver)』についてお伝えしました!
終わり。